北米圏の私立高校や大学への出願、そして近年増えている日本国内の総合型選抜(元AO入試)。じつはこれらの選抜スタイルには、ある評価項目が共通しています。
それは「課外活動」です。
日本で「課外活動」というと部活や自治会、習い事、ボランティアなどがまず連想されるのではないでしょうか。同じ日本の教育を受けてきたひとでも統一された「課外活動」のイメージはあまりないかもしれません。
この記事では、私目線の「課外活動」について書いていくことにします。 誰かのお役に立つかもしれません。
私と「課外活動」の関係
私は、中3で親元を離れてアメリカの高校に正規留学をしていました。(>>ボーディングスクール在校時の振り返り記事)
ボーディングスクールを卒業した後は、アメリカの大学に一度進学しました。
つまり、私はアメリカの「課外活動」を問われる受験を高校と大学の二段階で経験しています。
さらに、帰国後は日本の大学の帰国生入試も受験しています。今は知りませんが、当時は審査に面接も含まれており、高校での課外活動について話す機会もありました。
このように「課外活動」が問われる高校と大学の選抜を繰り返すうちに、自己ブランディングのための「課外活動」が自然に根付いていました。
ちなみに日本の就活の「自己PR」においても、大学での「課外活動」は欠かせない一部です。ネタとPRする経験だけは豊富に持っていましたので、自己PRにおいて困ることはありませんでした。
日米での受験や日本の就活・転職などの経験に加えて、私は職業としてたくさんの親子を見てきています。自身の子育て経験や教育の勉強を踏まえて、私だから書けることを書いてみます。
海外校が想定している「課外活動」の特徴
北米圏の大学や私立高校が出願を受け付けるときに想定している課外活動の特徴を挙げます。
- 日本の教育を受けてきたひとが想像する以上に、評価対象となる「課外活動」の幅は広い
- 自分ごとが出発点であれば、ほぼなんでもカウントできる(たとえば問題意識や、好奇心や、情熱や、上達したいこと)
- 早く始めるだけで時間が味方につく(トライアンドエラーもたっぷりでき、より大きく/広く/深く/長く展開していくこともできる)
これには私の解釈も混じっています。個別の例外もありますし、「正解」はないこともご理解ください。
それにしても我ながら抽象的ですね。
そうです、漠然としているのも特徴の一つです。
実際に現地の保護者や生徒も困惑していますし、漠然だからこそ勘違いもよく発生しています。
「課外活動」はこう捉えるべし
重要なのは、出願先の学校側が課外活動を通して何を見極めようとしているか知ることです。
よくある勘違い
特に中高生での課外活動というと、重課金できる家庭だったり、都会に住んでいたりすると有利と思われるかもしれません。
でも学校が見ているのは、いかに多様な体験をしているか、目立つ実績を掲げているかではありません。
学校が見ているのはその生徒が自分の学びや体験を自ら改善・展開していく力と意志があるかどうかです。
そこを履き違えないように、お金や時間のなさや居住地(あとは感染対策のための自粛)を言い訳にして思考停止しないようにしたいです。ちょっと厳しい物言いですが。
実際はこういうこと
出願先の学校が確かめたいのは、こういうことです。
- 生徒本人が自身の学びや体験を自ら改善・展開していく力と意志があるか
- 生徒本人が自身の学びや体験が内外に及ぼした影響を言語化出来ているか
- 生徒本人がどれほど自分を客観視できているのか
- その体験や機会や結果を得るのに、生徒本人はどれほど能動的に・主体的に動いたのか
どんな機会や実績も、学校や「誰か」が提供してくれるのをこなしただけでは受動的であったと見抜かれます。
身も蓋もないですが、学校が生徒を受け入れるということはその子の可能性を買っているのと同じです。そのために設備投資をしたり教員を招致したり、とにかくお金をかけています。
どうせならその設備や教員をうまく使いこなしてもらい、さらに学校のネームバリューを上げてくれる生徒に来てもらいたいんです。
だから、せっかく時間や労力を費やした課外活動なのに当人の主体性や能動性を含む意志力が見えてこないと評価も上がらずもったいないと思います。
なんのための課外活動なのか
順番が前後しますが、課外活動がなんのためにあるのかについて考えてみます。
文字通り読むと、課外活動は「教室外の活動や学び」です。本来は受験のためにやることではありません。
私の解釈を加えると、課外活動は生徒にとって単純に楽しい、好奇心や探究心を満たす、自発的な活動です。
生徒が自発的に充実した活動をしていると、他にもいい効果があります。
- 物理的・精神的な自立を体験し、自信がつく
- 人格形成につながる
- 話題になる
- 窮屈な日常のサードプレイスになりうる
ここでは「課外活動」という表現で統一していますが、あるいは自己実現、自己探究、自己表現という言い方がしっくり来るかもしれません。
留学や受験をする・しないに関わらず、課外活動は人としての健全な成長・発達にとって非常に大事だと私は考えています。
受験のための課外活動ならば
とはいっても受験のための課外活動を少しでも意識するのであれば、押さえておくべきポイントとフローがあります。
- 自分ごとから小さく始める(問題意識や、好奇心や、情熱や、上達したいこと)
- 慣れているコミュニティ内で実践とフィードバックのサイクルを回す(家庭・学校・地域・習い事など)
- コンフォートゾーンを出て実践とフィードバックのサイクルを回す
いきなり3から始めるよりも1から始めるほうが負担が少ないです。また、飛び級するよりも1から2,2から3へと順番にステップを踏んでいくほうが負担が少ないです。
いずれにせよ「これで充分だろう」と満足するのではなく、発展や改善の余地を探り続けることが大事です。
なるべくシンプルに言い換えると、なにかをやる度に「次からより広く/深く展開するとしたら?」と問いかけるのです。
広く/深く、の代わりに大きく/長く/早く/良く/楽に/多くなどにも置き換えることもできます。
具体例やテーマ例はこちらのリンク先が参考になります。
上の1~3までの履歴を個人的にでも対外的にでも残しておくことも、後で必ず役に立ちます。
見せてなんぼ、見せないものは存在しないのと同じ、受験における「課外活動」はそんなものです。
ちなみに
この記事では、あらゆるテーマに通ずるような一般論にとどめていますが、個別のコンサルティングではもっと個別具体的な話をしています。
たとえば、
- すでにこんなことをやっているが評価されるか
- すでにやっているこれをもっと広く・深く展開するならどんな方法があるか
- どう表現すればより評価されるか
- これとこれの2通りの選択肢だとどっちに振るべきか
みたいな質問に答えたり、子どもの活動メンターを探すのも私の仕事のうちです。
家庭によって、子どもによって、課外活動のできるできない/向き不向きがあります。それは別におかしなことではありません。
海外高校や大学に出願するしないに関係なく、思い立ったらすぐ相談するくらいがタイミングとしてちょうどいいです。
とくに課外活動はトライアンドエラーなので早いほど時間を味方につけられますよ。
「「自分にしか語れない何か」を見つければ、9割受かる」と書かれているこちらの本も参考に。
ちょっと尖っていますが意外と本質を突いているこちらの本も。
もっと小さいうちからできること
人の成長・発達はみんな同じペースで進むものではありません。
同じ学年であっても、上の実践とフィードバックのサイクルを自然とこなせる子もいれば、大人のガイダンスがあってもなかなか進まない子もいて当然です。
それでも数をこなせばこなすほど、この実践とフィードバックのサイクルを回すのが上達していきます。
そのために、子どもがまだ高校や大学受験を意識する前の小さいうちからできることがあります。
- 好奇心・探究心の芽を摘まない
- 親が子どもの「好きなこと」や「特技」に関心を持つ
- 子どもが自分の強みを自分で見出し活用する実践を繰り返させる
- 人に会ったり、本を読んだり、実践機会を追い求めたり、情報収集の仕組みを作る
このあたりの記事が参考になるかもしれません。
お金は二の次
上に挙げたことのためには、大人が環境を整える必要があります。特に子どもが小さいうちは。
ただし一番必要なのは、子どもを観察する心の余裕です。お金や時間ではありません。(>>子育ての罪悪感から解放されるためにできること)
お金・時間・人手などのリソース量は人それぞれですが、有限なのは誰も同じです。出願先の学校もそれはわかっています。
要は限りあるリソースをどう活用するか・どうしても足りない部分はどう補うかの問題です。
その意思決定は親以外の人に外注できません。
私が親子を見ているなかで一番感動するのは、子どもが親(または身近な大人)に理解され、安心して自分の興味関心を追究し、その過程でその子独自のスキルを磨いている、そんな姿です。
家庭環境や都会以前に、一番近くにいる親が子どもを観察することからすべてが始まります。
なかなか余裕を持ちにくい時世ではありますが、お金や時間のなさや居住地(あとは感染対策のための自粛)を言い訳にして思考停止しないようにしたいです。自戒も込めて。
完璧でなくても、子どもを観察すること、子どもが安心して興味関心を追究できるような環境を整える努力を続けること。
その姿すら、子どもに見せることは有意義な学びなのではないでしょうか。