その昔、私は日本国内の老舗系のインターナショナルスクールに小2から中2までの7年間、通っていました。(1990年代後半の話です)
つい最近になって、実家から私の当時の成績表が断片的に出てきたので晒そうと思います。
予めお断りしておきますが、これは1990年代後半の記録です。(もう30年近く前!)
その後、私は同じインターナショナルスクールの中等部に進学し、中3からはアメリカのボーディングスクールに単身留学、さらに19歳のときに東京大学の帰国子女入試を受験して合格することになります。
「こんな私は過去こんな生徒だったのね」
「こんな生徒が将来こうなるんだ」
というひとつの事例としてお楽しみください。
前提知識
私がどこのどんなインターに通っていたかは、別記事で詳細に書いているので割愛します。
ここでは、成績表を読み解くために知っておくとよい背景情報だけ書いておきます。あくまで当時の設定です。
- 学年は9月始まり、6月終わり
- 1学年は4学期制(学期のことをquarterと呼びます)
- カリキュラムはアメリカのカリフォルニア州に準拠。WASC認証あり。
私は日本の公立小に2年生の1学期まで通い、夏休み明けからインターに転入しました。
ここは個人的に重要なポイントなんですが、転入当初は1学年落として小1のESLからスタートし、数ヶ月でESLを卒業して本クラスに合流、そして翌年は小2を飛び級して小3に進級して本来の学年に追いついています。
いくら精神的・身体的・学力的年齢が小3に追いついていたと周りが認めてくれても、インターの小2の授業を一切受けていないので、ごっそり抜けている知識やスキルは当然ありました。
さらにいうと、この小学校3年生にあがったのは1995年。阪神淡路大震災の被害で校舎は真っ二つに割れ、プレハブでずっと授業を受けていた時期です。
そんな前提でお楽しみください。
インター小学校3年生当時の私
本が好きで好奇心旺盛、でも運動は苦手で引っ込み思案で心を開くのに時間がかかる子でした。
先生は、新任のアメリカ人女性でした。阪神大震災があった年に赴任してきた優しくて明るい先生でした。
今もFacebookで交流がありますが、現在はアメリカに戻ってモンテッソーリ教師をされているみたいです。
インター小学校3年生の文章
当時の私の英語力をイメージするために、自分の絵日記を引っ張り出してきました。
正確には私が小3に上がる直前の夏休みに書いたものです。通っていたインターの宿題ではなく、サマースクールの宿題みたいなものでした。
まず字が汚い。なぜかペンで書いているので訂正跡が見苦しい。スペルミス。冠詞抜けなど文法ミス。絵もひどい。そして謎のインデント(字下げ)の揃え方。
と、こんな小3生でした。
この絵日記、毎日苦労しながらひねり出していた記憶がうっすらあります。
インター小学校3年生 1学期目の成績表
担任による学習進度レポート
まずは担任の先生による「学習進度」レポート。小3の1学期のものです。
10番の「授業への参加度」や11番の「自主的に質問する」、14番の「英語の会話力」や8番の「学習意欲・関心」が軒並み低いのはつながっている気がします。
今もそうですが、じっくり聞いて考えることのほうが、自分の主張をすることより忙しいんですよね。
そのためか、自分から話すことが少ないので授業でも目立たず、関心度も低く見えるし会話力も発揮できない。ちょっと損しているともいえます。
でもちゃんと自分なりに参加態度は示しているんですよ。2番の「授業中の注意力」や4番の「他人との協調性」の評価がよいところなどにも現れていますね。
科目ごとの成績表
次にお見せするのは毎学期の成績表。
さきほどの手書きのものは「担任が」「ざっくり手書き」で評価した「学習進度」レポートですが、こちらは「科目ごとの先生」から「1点単位の数値」で出てきます。
ご覧のように、全部で10科目あって、各科目に100点満点の点数がつけられています。
評価の基準は覚えていませんが、謎に細かい刻みですね。
左上に平均点が出ています。「90.818」…小数点3位までってやたら細かくないですか(笑)
毎回こうなので、当時は突っ込むことすらしていなかったと思いますが。
時代の特徴として特筆すべきはHandwritingという科目。
これは、アルファベットの書写や筆記体練習のことです。つまり英語版お習字。
今のアメリカの公立初等部では公式な科目としてはなくなっているはずです。(→Washington Postの記事)
私のときは小2で筆記体の基礎を習っている前提なので、小3ではすべての提出物を筆記体で書くことが必須になっていました。
しかし私は小2をまるごと飛ばしたので、基礎もなにもない状態。
日本の小学校の感覚でいうと、飛ばした学年で習っているはずの漢字をうっかりひらがなで書いたらバツみたいなものです。
しかも部分的ではなく、すべての文字が対象です。
特に最初の頃はお手本とにらめっこしながら、通常の2倍以上の時間を宿題にかけていました。
周りは当たり前のようにできているし、飛び級したばかりでクラスに友達もいなかったし、近くに住んでいる友達もいないし、先生も新任だし、共働きの両親には宿題を見てもらえないしで孤独な戦いだったことを今でも覚えています。
インター小学校3年生 3学期目の成績表
同じ学年の3学期目の成績表も出てきました。
平均点は1学期時の「90.818」から「92.485」に少し上がっています。(だから細かい)
理科・社会は80台と90台を行ったり来たりして安定していませんね。
そして美術・体育・音楽などの実技系が1点刻みで推移しているのはどういう基準なんでしょう(笑)
Handwritingでは、コメントも「いつも丁寧な書き方です」とかなり成長した様子です。
さっきは孤独な戦いだったと書きましたが、意外と成功体験として消化しているんですよね。この科目については。
インター小学校3年生のときにいただいた賞状
毎学期、平均点が基準を超えた生徒は校長から表彰されます。具体的には、学内の掲示板に名前を掲げられたり、この賞状を渡されたり。
オレンジの賞状は、一番いいFirst Honors。
青い賞状は、その一段階下のSecond Honors。
基準点はよく覚えていません。
相対評価ではなく、絶対評価だった記憶なんですが、1枚目のオレンジが表彰しているFirst Semester(1&2学期)の平均点は92.136で、2枚目の青が表彰しているThird Quarter(3学期)の平均点は93.182でした。
今見てもよくわかりません。
この表彰は年4回あって、確か私は青かオレンジのどちらかをほぼ毎回もらっていたと思います。
さらにこの年は、担任の先生からも年度末にこんな賞状をもらっていたようです。これはきっと先生が一人ひとりの優れているところをそれぞれに表彰したのだと思います。
私の場合は学習習慣のようですね。これを受け取ったことも、心当たりもまったく記憶にないんですけどね(笑)
ここまで自分の成績を振り返っていると、学校の成績基準がザルなのではないかと疑いたくなりますが、特に甘いというわけでもなさそうです。
というのも、弟と妹の成績表も一緒に出てきたのでちらっと見たところ、同じ先生でも書いてあることや評価はそれぞれ異なりました。
だから、ちゃんと私個人を評価していたんだろうと推察しています。
まとめ
インターナショナルスクールの小学校3年生のときの成績表を公開しました。
自分の成績表を27年ぶりに見返すとかなり新鮮に感じます。
当時の自分の自己評価(の記憶)と、今の私が先生の言葉を読んで受ける印象が全く違ったんですよね。
要するに、私は在校時の自己評価がかなり低かったのではないかと。
でもこうして親になった目で成績表を眺めると「え、全然悪くないじゃん。むしろ良くね?」(個人の感想です)となる。
子どもは他を知らないから自分の成績を正しく捉えられているとは限らない。ここでいう「正しく」というのは、変なフィルターなしで真っ直ぐに、という意味。
同時に、この成績表には当時私が感じて乗り越えたはずの葛藤や努力の跡はあまり見えないな、とも感じました。
多忙で英語に自信がなかった親にこれを求めるのは酷だったかもしれないけど、そのときの私に刺さる言い方で、私がこの成績をどう捉えて、どう活かすべきか知らせてくれていたら、なにか違っていたのかもしれません。たらればですが。
学校のリソースを使いこなすためにもインターナショナルスクールの保護者も英会話力を上げておきましょう。子ども任せにしていたら成長機会を逃しかねません。
学校選びにも
自分の学校生活のリアルタイムの印象と、振り返ったときの印象は、当然ですが異なります。私も物理的にも時間的にも立場的にも離れたことで、全然違って見えています。
だからこそ学校選びの参考にするときも、できれば在校生だけじゃなく直近の卒業生や時代を経た卒業生の話も聞けるとかなり複合的なものの見え方ができるようになる。と思っています。
こうして自分の小3の頃を振り返れたのは、母が断片的にでも記録を残しておいてくれたおかげです。私も子どもの成績表や表彰状はできる限りとっておきたいと思いました。