萩原麻友プロフィール
萩原麻友(ハギワラマユ)のブログへのご訪問ありがとうございます。
このブログでは、子育てや教育や進路に関する情報を発信しています。
このプロフィールで、あえてこれだけでも知ってほしいのは私の「教育と子育て」についての考え方です。
子育てや教育に正解はありません。
ですが、私は私なりにベストに辿り着こうと努力しています。
その過程や考え方が、誰かのお役に立つことを願っています。(→ニュースレターでも試行錯誤を配信しています)
このブログを理解するための前提条件としてなるべくさっくりわかるようにまとめてみました。
私は普段からこう考えています。
- 教育や子育ては親子ごとに違って、正解はない
- 子どもの成長、保護者の考えの変化、世間の状況次第で選択肢は常に変わっている
- 子どもには生まれつきの権利がある
生きる権利、育つ権利、守られる権利、参加する権利など
→詳細:子どもの権利について大人が知っておきたいこと - 子どもは自発的に発育する
親ができることがあるとしたら安全に発育できる環境を整えたり、人間関係の事例を見せたりすることくらいで、それ以外はかえって邪魔になることもある
また学校教育や教育サービスについては以下のようにも考えています。
- 高価=良い教育とは限らない
- 王道=わが子にとって最良とは限らない
- なにを選ぼうと完璧はありえない=穴を埋める家庭の役割がなくなることはない
保護者として臨機応変さとケセラセラ(なんとかなる)を意識しながら、子育て期間を楽しみたいと考えています。
上記の項目や私の記事に興味や共感を持たれた場合は、次の「ざっくり自己紹介」だけでも読んでいただければと思います。
ざっくり自己紹介
ざっくり自己紹介
- 萩原麻友(はぎわら・まゆ)
- 1986年10月 大阪市生まれ、三人兄弟の長女
- 東京都在住(2023年2月から)
- 現在は夫と子2人の4人家族
- 在住歴は大阪市12年、神戸市7年、米マサチューセッツ州4年、千葉県3年、東京都9年
- 趣味は学校見学、セーリング、合唱、計画など
- 一人のときは大型書店で数時間ブラウジングORパソコンに向かって過ごしたい
- フリーランスの保護者向け教育コンサルタント&教育系ライター
サービス&実績
以上が私の簡単な自己紹介です。
占いや心理学を嗜む方向けには…
数秘は33;太陽星座は天秤;月星座と第1ハウスは牡羊;16タイプの性格分類ではINFJです
もっと知りたい方はどうぞ「夫による他己紹介」も読み進めてください。
このプロフィールがお口に合わなければ、Twitterでは短文をつぶやき散らかしています。
夫による他己紹介
夫とは、知り合ってから10年以上になります。私がどんな人物か、改めて聞いてみました。
夫くん、私のことを誰かに話すとき、なんて紹介してるの?
うーん、話すことはいつも3つ決まってるよ。
夫が紹介する私
- 恐ろしく英語スペックが高い(昔ですがTOEIC満点、TOEFL117、英検1級など)
- アメリカの大学に入ったのに帰国して、たった3ヶ月で東大に受かった
- 留学・教育・子育てコンサルタントとして自営している
ほう、これだけ見るとガリ勉かエリートかと勘違いされそうだね……で、本音は???
……
夫いわく、上記の話をするとだいたい「奥さん秀才、要領よさそう」とかの評価になるそうです。そりゃそうだ。
でも実際はまったくそんなことはないです。
ウラの他己紹介
- 30歳過ぎても右と左を覚えられない(左右盲というそうです)
- 家事の要領悪すぎる
- 一つのことに集中すると周りが見えなくなる
- 時間の使い方が下手
- 思い込みが激しい
これ以上は自粛するよ♪
……ありがとう(有り難くない)
イメージと現実のギャップを感じていただけましたでしょうか(汗)
ひとことで表しづらい経歴
私は自他ともに認めるほど特殊な経歴を持っています。
私の略歴
- 純ジャパ日本勤務の両親なのに日本の小学校に通ったのは1年ちょっと
- 日本でインターナショナルスクール7年(小2〜中2)
- アメリカのボーディングスクール4年(中3〜高3)
- 世界ランキング上位のアメリカの大学に入学、でも1学期で中退
- 帰国して2ヶ月で東京大学文科3類に入学(東大教育学部卒)
- 都市ガス業界2位の法人営業7年(うち育休3年)
- 育休中に転職して留学カウンセラー1年半、その後はフリーランス
「出身は?」と聞かれると、相手によってはどこからどこまでを答えてよいかわからず、たいてい詰まります。
私のような経歴の人には「出身は?」だと漠然すぎるので、「生まれは?」「高校は?」「大学は?」などのピンポイントな質問が嬉しいです。
学歴
- 大阪市立小学校(転出)
- 神戸市のインターナショナルスクール(転入・転出)
- 米マサチューセッツ州の私立ボーディングスクール(入学・卒業)
- 米ウイスコンシン州立大学マディソン校(入学・転出)
- 東京大学文科3類(入学)/教育学部(卒業)
実は日本の義務教育(小中)どれも完了していないよね。。。
気づいたらこうなっていたのよ
いわゆる「義務教育」は受けていないですが、割とまともに大人をやっております。大人は楽しいです。
職歴
私は大学を卒業するまでの間に、アルバイトやインターンやボランティアをたくさん経験しました。
渡り歩いた業界業種は、国際NGO、青少年キャンプ、美術ギャラリー、劇場、プリスクール、飲食店、クリニック、公的機関、財団法人、教育系民間企業など。
日本から飛び出してハワイでも2ヶ月間、短期インターンとボランティアのかけもちをしていました。
大学を卒業してからは、都市ガス会社で法人営業と留学斡旋会社で個人営業を経験しています。
「学生時代のバイト」が多岐に渡りすぎて把握しきれない…
体験できるうちにいろいろ試しまくったので。職業経験と海外経験はそこそこ豊富だからか、たいていのことではあまり動じないよね
いまだに10年前のバイト仲間から連絡が来たりするよね。信じられない。
資格
上昇志向の高いひとたちに囲まれていたのもあって、資格は両手にあまるほどあります。
メジャーなものと変わり種を挙げます。
- JAOS認定留学カウンセラー
- 一級小型船舶操縦士
- 甲種ガス主任技術者
- 第一種電気工事士
- TOEIC990点
- 英検1級
実はどれも一発合格だよね。
買い物リストが3つ以上になると覚えられないくせに、試験では馬鹿力を発揮しやがるぜ……
ここに挙げた以外にも資格持っているはずなんだけど、案の定すぐには思い出せない……
と、ここまでは軽いノリで書いてきました。
この先は重めなので、抜けるなら今がよいタイミングだと思いますよ。
もう少し深みに興味ある稀有な方はどうぞ「暗黒時代」についてお読みください。
→お仕事用プロフィール、執筆・取材協力の依頼ページはこちら。
18年間の暗黒時代
「私の経歴」を語ると上のようになります。そして、感心されたり羨ましがられることが多いです。
確かに話のネタには困りませんし、就活やバイトの書類選考では落ちたことはありません。(書類選考だけなら)
でも光には必ず影があるんです。
ここからは影の部分の話をします。長くなるので、興味がある方だけ読み進めてください。
つまらない小学生時代
小学校2年の1学期までは、私は普通の公立小学校に通う鍵っ子小学生でした。
近所に何人かよく遊ぶ友達がいたり、家の前で待ち合わせて登校する仲間がいたり。
しかし小学校2年生のときに遠方のインターに転校してから、ご近所友達は皆無に。インターの学級には20人ほどいましたが、みんなバラバラの場所から通っているので放課後遊ぶのも困難。
私には年下の兄弟がいましたが、遠くに住む学友を無断で家に連れ込んでは双方の親から怒られていました。だって放課後があまりにもつまらないから。
途中から、たまたま同じ団地に住むことになった同級生が1人だけいました。同じく鍵っ子だったその子とは、放課後よくお互いの家を行き来していました。
彼女がいなかったら、私の小学時代はもっと暗かったと思う。ありがとう。
小学生の間は、休み時間や週末などに友だちと遊び、交換日記をし、漫画を貸し借りしたり、テレビや漫画や小説で夜ふかししたりして、特にパッとした記憶がありません。
気づいたら、インターの中学に進学していました。
今振り返ると、有り余っていた時間をもっと有効活用できたんじゃないかな、と思います。
勉強はできたほうですが、運動や文化系や課外活動はさっぱりでした。だからでしょうか、子どもをインターに入れたくないと思ったのは。
インターが悪いというよりは、お金や時間のリソース配分を見直したいと考えています。
当時くすぶっていたとはいえ、私はインターに通ったこと自体は感謝しています。日本にいながら小さい頃から英語とパソコンとキリスト教観が身についたのは、インターのおかげです。今も続いている良い友だちにも恵まれました。
でも小中学時代の自分は何を好きで得意かわからず、自分に自信がないからとにかく悪目立ちしないように息を潜めながら時間がすぎるのを待っていたような時期でした。
同じ人達とずっとべったりするわけでもなく、何かに特別打ち込むわけでもなく過ごしていました。
その当時の根暗な様子はこちらの記事でも。
世界と闘った中学高校時代
引き続き漫然と過ごしていた中3のとき、母の勧めでアメリカに単身留学することになりました。
留学先は、アメリカ東部の伝統的なボーディングスクール。蓋を開けてびっくり、そこは世界中から集まってきた猛者たちの巣窟でした。
それまでのインターでは上位の成績を収めていましたが、アメリカの高校ではまったく歯が立ちませんでした。
当然です。
そこにいる他の子たちは勉強だけでなく、スポーツも、文化系活動も、社会貢献も全部できちゃうし、むしろ目を輝かせて、もっとやりたいという人たちばかり。
ただ歩いているだけでもスピードが早くて、私が勝てるのは座高くらい(笑)
学力も、性格も、体格も、体力も、経済力も、全てにおいて自分より優れているひとだらけ。
そんななか私は親に顔向けするために、そして周りに認知してもらうために、歯を食いしばって努力を重ねてきました。
4年間過ごしたなかで、仲の良い友だちができました。少しずついろんな活動にも手を出して、彼氏も作って、成績も上がって、ぱっと見は順調でした。
それでも、幼少期をアメリカで過ごしていないためについていけない話題があったり、語学の壁を感じたりは日常茶飯事。
“普通”の中学高校生活だったら、紺のハイソックス履いてスカート巻き上げて友達と大阪道頓堀あたりを練り歩いていただろうに、どこでこんなことになったんだろう。。。
到着前から自信がゼロだった私は、アメリカ人にも日本人にもなれきれないコンプレックスの塊に進化しました。
自分には世界で戦える武器がない……
超えられない壁、挫折というのはこういうものなのか、と15歳で実感しました。
今なら、そんなことはなかったのになと思えますが、それがわかったのも社会人になってからだいぶ後でした。
あのときは親や先生を含め信頼できる大人は身近にいたけど、自分の悩みに気づいたり言語化したりするすべがなく、身近な大人もそこまで踏み込んでくれる距離感ではありませんでした。
(誤解がないように付け加えると、ボーディングスクールでは先生と暮らしているので、大人の目はちゃんとあります)
高校は無事卒業できたものの、ホームシックや鬱やコンプレックスを丸呑みしながらなんとか乗り越えたようなものです。
最後には完全にやりきった感じで、よくもわるくも濃厚で、もう戻りたくないほど壮絶な体験でした。
でも暗黒時代はまだ続く……
暗中模索の大学時代
私が通っていたボーディングスクールは下手に進学校だったために、先輩も同級生もアイビーリーグ系の大学からじゃんじゃん合格通知が届くような環境でした。
その一方で私はそこまでできるわけじゃないし、なにか大学で学びたいことがあるわけでもない。
親に多額の学費を払ってもらいながら、こんなので進学してもいいのかと葛藤していました。
リベラルアーツ系や私立・公立の総合大学にいろいろ出願した結果、とりあえず”比較的安い”総合大学、ということでウィスコンシン州立大マディソン校に一旦進学しました。
4年ぶりの新しい学校。友達は一から作り直しな状況。
1学期目の成績はオールAで、少数ながら親しい友人もできたけど、このままでは高校の暗黒の4年間を繰り返してしまう!という危機感がありました。
そこで親や高校の友だちにも相談し、急遽日本の大学に進路を変えることにしました。
そこから急いで帰国子女枠で複数校受験して、東大に合格をいただけたというわけです。
帰国の決断から入学までの期間がわずか半年未満の短期戦でしたが、初めて親の顔色を伺わずに決めた進路。人生の大きなターニングポイントでした。
これでプレッシャーだった学費は抑えられたし、ビザの心配なく働くのも学ぶのも自由にできるはず。と思ったのもつかの間でした。
東大には東大の猛者がうじゃうじゃいて(当たり前)、いちからやり直しの状況にまた泣きを見ました。
私は一般的な受験ルートを辿っていないし、
東京も初めてでわからないし、
受講態度がアメリカと日本では違いすぎる。
周りと共通点がなさすぎて、人間関係でも理解ができないことが多くて、ない自信が育つはずもありませんでした。
でも学内で良いカウンセラーに出会えたのが幸いでした。中3から親元を離れて、ずっと欠如していた大人の相談相手を、大学で初めて持つことができたのです。
カウンセリングに通いつめながら、私は少しずつ自分の理解を深めていくことができました。
大学では同じ学科の子の名前は一人も思い出せないけど、大学の卒業証書とわずかな仲の良い友人だけが財産です。
普通であることを諦めた新卒時代
私はなにも特別でもすごくもないのに、どこに行っても「ちょっと異質な人」でした。
アメリカにいると「日本人なんだね、日本のこと教えて」
日本にいても「帰国子女なんだね、英語でなんか言ってみて」
会社に入ると「東大卒なんだね、頭いいから教えなくてもわかるよね」
……
私はインターにいた小中学時代から自分に自信がなく、これという取り柄を持たずに来たので、とにかく目立ちたくありませんでした。
でもどこにも適応しきれない自分に直面し、どうしてよいかわからない。
孤独を解消するために他人と共通点が欲しい、けれどそれを実感できない。
人とのつながりを実感できないから、自分のことを客観視したり好きになったりできない。
自分のことが好きじゃないから、いつでも不安で孤独。
結局私は、小学生の頃からこの悪循環を回していました。
社畜になったらなにかが変わるかと思って、会社では激務に身を委ねてみました。
やっぱり違ったようで、気づいたら心身を壊していました。
親になって初めて人生に光が射した
体調不良の時期と重なって、私は結婚して、子どもができました。
一般的には、産休・育休に入った女性は孤立が心配されますが、むしろ私は水を得た魚のように、子連れでイキイキと積極的にいろんなコミュニティに出入りするようになりました。
それまで周りと共通点がないと悩んでいたことが嘘のように、子どもができて初めて世代や生い立ち関係なく人と付き合えるようになっていったんです。
子どもに親にしてもらえたおかげで、ようやく暗黒時代に光が差しました。
今から思えば、自分で壁を作っていたのかもしれないですけどね。でもそんな私の人生を変えてくれたのは、間違いなく子どもです。
もちろんまったく苦悩がないわけではないんですが、メンタルは確実に強くなっているし、やっと人並みに自信が持てるようになってきました。明るく開き直ることも覚えました。
年を重ねるごとに生き易く、楽しくなってきています。
私があんなに持て余していた自分の「変な経歴」も、今となっては何にも代えがたい財産です。
仕事と家庭の両立生活はやることや感情は大忙しでも、大枠では悩むことも楽しめる。子どもが生まれてからは、そんな心境です。
当ブログを運営する根底の理由
今の私を作ってくれたのは、よくもわるくも子ども時代の「教育」だと思っています。
親の教育方針、学校選択、周りの環境、全てが子どもの人生を形成します。
幼少期から時間を経て親になり、また職業として子どもの教育に向き合っている今だからこそ、やっと自分の半生を振り返ることができました。
多様な体験、心から熱中すること、いろんな人と関わること。これらが人生において、いかに重要かを身をもって知りました。今も、そう信じています。
私はやっと今、自分の経歴を誇りに思うことができます。若くしていろんな岐路に立たされ悩み抜いたからこその経歴だからです。
私をつくったのも、救ったのも、すべて私の歩んできた道でした。
でも、もしやりなおせるとすれば。。。
いろんな体験を重ねて、好きなことに熱中する体験をもっとできていたら。
自分が悩んでいることに気づかせてくれる大人が、身近にいたら。
もっと早くから自分のことを理解して、好きになって、自信をもっていたら。
あのときの苦しみは、少しでも和らげたかもしれない。
諦めたことを諦めずに済む方法があったのかもしれない。
人生は違っていたかもしれない。
基本的に私は過去を振り返って後悔や、戻りたいと思うことはありません。それよりも未来のことを考えて準備するのに忙しくしていたいから。
でも留学の仕事に出会って初めて、「当時こういうことを知っていたら、もっと楽しく学生時代を過ごせていたかもしれないし、もっと違う選択肢があったかもしれないし、違う未来に行けたかもしれない」という思いがふつふつと湧いてきました。
将来英語に困らないようにしたい、海外進学をさせたい、トップ大学にいれたい、幸せにしたい、などクライアントの目的は様々ですが、子どものために何かをしてあげたいという親の思いは共通です。
私も親として、教育者として、元当事者として、次世代の子たちのためにできることをしたい。
でも、子どもの「教育」ってお勉強や英語や留学だけではない。
もっと広く、一人ひとりにあった教育プランを考え抜いていきたい。
もし、私のように孤独感に苛まれている子どもや親がいたら、そっと前を向かせたい。
子どもがどこまで成長できるのか、一人ひとりの可能性を試したい。
子どもが見せる成長は、大人をも感動させて、変化を生みます。
子どもやその親にそれぞれ必要な情報や価値の提供をしていきたい。
このブログは、未来の子どもたちとその親に捧げます。
これから子育てを始める方や、すでに始まっているけど困っている方が、少しでも楽に明るい子育てができるように。
現在進行系で進路について悩んでいる子どもが、未来に少しでも希望が持てるように。
親も子も「今」をもっと大事にできるように。
ブログに託している想い
私の親に、あのとき知っていてほしかったこと。
あのとき誰かに教えてほしかったこと。
そして自分の子育てにも生かしたい「子育て・教育・進路に関する視点」を綴っていきます。
仕事との付き合い方を変えたい
ついでにとても書きにくいことではありますが、これから私が関わるかもしれない皆さまの幸福のために書きます。
ささやかですが、私には実現したいことがあります。
私が実現したいこと
- 自分や家族の心身の健康
- 家族と過ごす時間の質/量の改善
- 経済的資産よりも人的資産の蓄積
- 我が子を含む次世代へのサポート
私の家族の歴史はまだ短いながらも、これまでに一人一人の時間の使い方が家庭内の幸福感に影響を及ぼしてきました。
このブログを書き始めて今、とてもよいバランスで社会とつながりながら、子どもや夫との関係も維持できるようになってきています。
次世代の子どもたちとその保護者のために情報発信しながら、それが私の家庭内にもいい影響をもたらす。
この好循環が少しでも長く大きく波及するように願っています。
あえて言い換えると、
家族と過ごす時間を奪ったり、健康に悪影響を及ぼすような行動を私は取りませんし、そうさせる可能性がある方とはお付き合いしない方針です。
双方にストレスが少ない関係にご納得いただける方と長くお付き合いしていきたいと考えています。
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ここまでお読みいただきありがとうございます。引き続き、当ブログをお楽しみくださいませ。