このブログで書いていることは、私が親になってから今までの約7年分の集大成ですが、その根底にある信念のようなものは実は幼い頃からありました。
無意識的にも意識的にも、私は子ども世代と関わることをずっとしていたという話です。
小学校~中学校時代
もともと三人兄弟の長子なので、物心がついたときから年下の世話をする生活でした。
同じ学校に通っていた頃は、弟たちの同級生ともよく遊んでいました。
休日には、共働きの親の代わりに弟たちを外に連れ出していました。
公園以外にも、自分で調べて博物館やスケート場などにも足を伸ばしました。
近所の宝探しの地図を手作りして、弟たちが面白がってくれるのが楽しかった。
(いじめることもしていたけど。)
インターナショナルスクール時代、美術館にいく課題が出たときには、同級生に呼びかけて神戸から京都の美術館へ遠征もしました。
引っ込み思案であることを忘れるほど、”学べる遊び”を企画することは好きでした。
高校時代
高校はアメリカのボーディングスクールでした。
在学中は、
最寄りの公立小学校の美術の授業を手伝ったり、
学内の保育園でボランティアしたり、
知り合いの公立高校の日本語の授業を手伝ったり、
地域貢献プログラムの一貫で一年半の間、近隣に住む8歳の女の子と毎週末一緒に過ごしたり、
マネジャーをやっていた水泳部のコーチの小学生の娘さんと遊んだり、
寮母さんの娘さんたちのベビーシッターをしたり。
常になにかしら、子ども相手や教育関係のボランティアをやっていました。
アメリカはボランティアの機会が豊富に用意されていたけど、一番長く続いたのは子ども相手だったな。
大学時代
大学は日本で卒業しました。
3年生で選んだ専門課程は、教育学部でした。
でも先生や官僚に興味が持てず、国際協力やオルタナティブ教育、社会教育や生涯教育について熱心に事例を読んだり話を聞いたりしていました。
卒論は、オルタナティブ教育についての考察でした。
長期休みには小学生キャンプの引率リーダーをやったり、
アフリカのベナンにある幼稚園の資金調達プロジェクトに関わったり、
実際にその幼稚園を視察しに行ったり。
アルバイトでは英語のプリスクールで働いたり、3歳の子の英語の家庭教師をやったり。
教育の王道(お勉強の先生)には興味が持てなくても、広い教育業界に片足だけ突っ込んでいた状態でした。
社会人以降
新卒入社した会社にいた頃が、一番教育分野から遠ざかっていたかもしれません。
でも長男が産まれて育休に入ってから、急にまた目覚めました。
長男が生後1ヶ月たった頃から、毎日のように児童館や公共施設や民間イベントに足を運んでいました。
ついには自分でも育休中のママコミュニティを立ち上げていました。
ママ向けのメディアでコラムも書いていましたね。
次男が生まれると、今度は公園で毎日5時間は遊んで過ごすのが当たり前に。
とにかく家で子ども二人とじっとしていることができず、なにかしら口実を見つけてはベビーカーと抱っこひもで出かけていました。
そして留学カウンセラーに転身した二社目では、教育相談を受けることに新たな喜びを覚えました。
気づいたら、続いていたのは「子ども」と「教育」だった
自分では、特に意識して子どもと関わり続けたわけではありません。
でも周りの大人と照らすと、平均よりも多めに子どもと関わっているのだと思います。
まだ、自分では子どもや教育がすごく好き!って言い切れるほど消化しきれていないんですけどね。
そういえばずっとやり続けていた。。。という感覚です。
ただ「教育」といっても、お勉強ではありません。
もっと、人間として、社会の構成員として、時代背景に合わせて必要だと思われるモノゴトを次世代に伝えるような、ふんわり広いことです。
自分の子どもに関わる経験と受けてきた教育を活かしながら、
自分の関わる子どもたちのためになる情報を仕入れながら、
これが私の使命なのかもしれない、とゆっくり噛み締めている次第です。
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