私は海外の教育に関心のある保護者から相談をよく受けています。今回もその事例をひとつご紹介します。ご質問・相談事例はほかにもあります。
今回のご相談者は、私が提供していたメニューのひとつ「学校調査代行サービス」をご依頼くださったAさんです。
学校調査代行では、ときにただの調査以上のお悩みが寄せられることもあります。今回は「子どもとの時間を楽しめない」というAさんのお悩みをご紹介します。
本題に入る前に、私を信頼してデリケートなお話をしてくださったAさんとご家族に感謝するとともに、こうして記事化することにご快諾いただけたその寛大さに敬意を示します。
この記事は、いつもの質問記事と違って回答というよりも「考え方シフトの提案」のような感じで、ちょっと歯切れがよくないかもしれません。
というのも、今回のようなお悩みは共通しているようでも相談者によって深刻さや背景が違います。すると人が違うとアドバイスも変わります。
それでもあえて記事にすることで参考になることもあるかもしれないと思いました。このアドバイスはあくまで一例として捉えてください。
ご相談のいきさつ
今回ご相談いただいたのは、小学校のお子さま2人とご夫婦の4人家族のお母さまAさんでした。
「中学か高校で子どもをボーディングスクールに行かせたいけど、どういう学校があってどんな準備が必要かわからない」ということで、「学校調査代行」に申し込まれました。
早速、条件に近い学校を調べるための事前打ち合わせをしました。お父さまも同席されました。
思えば相談者Aさんには、当初から共感する部分が多かったです。
例えば、私が「お子さまの高校卒業後に望む未来」と尋ねると、
大学卒業後は自分の住みたい国に住み、自分の得意なことを活かしてお金を稼ぎ、自立した生活をしてほしいです。いつも幸せで健康でいてくれることが願いです。
また、私が「大事にしている家庭の教育方針」について尋ねると、
15歳までは睡眠時間を削ってまで勉強をしないこと。
私たち親の考えは常に古いということを忘れないようにすること。
言葉でも子どもに愛情を伝えること。
子どもに依存しない。子どもは子どもの人生を、私は私の人生を生きること。
Aさんの子育てイメージがとてもはっきり伝わってきます。また、私が掲げている教育方針とも通ずるところがあると思いました。
そんな共感ポイントの多いAさんだったからか、お打ち合わせはとてもスムーズに進みました。
学校調査においては、ご希望や条件を把握することが私の第一の目的です。質問を変えながら、ご依頼者にとって「本当に重要なこと」を絞り込んでいきます。
そんななかでAさんは、経験したことがない世界(この場合は、我が子を海外へ送り出すこと)への不安や疑問も語ってくださりました。
- 条件に合う学校はあるのか
- 本当に最大6年間(大学前に)行かせる必要はあるのか
- 予算や治安(誘拐とか)が心配
このような不安や疑問がありつつも、やはり「子どもの近くにいてコントロールしたくない」「中高生になると親よりも友達や環境」「親離れは早いほうが子どもにとってメリットがある」という考えもあり、調査を依頼されたのです。
私はその場で答えられることは答え、その後もメールで何度か参考情報も提供させていただきました。
初回面談から数週間後、私はご依頼の学校一覧とその使用法をAさんにお届けしました。
「学校調査代行」では、お届け後のアフターサービス期間中、修正やご質問などにお応えして終わります。
Aさんが本当の不安を語ってくださったのは、このアフターサービス期間中でした。
本当の不安「自分は母親失格」
学校一覧を一式お送りしたあと、Aさんからこのようなメールを頂きました。前後は割愛しています。
ボーディングスクールを探していた理由は、「その年齢になれば親が近くにいる必要はないのではないかと思うから」「子どもをコントロールしたくないから」とお話ししました。
その2つが理由なのは本当ですが、それ以上に「私が育児から解放されたい」という気持ちが強いことをあの場でお話しできませんでした。
世界で一番大切なのは間違いなく自分の子ども二人ですが、子育てがどうしても楽しめなく、辛いです。
これでは母親失格ですので、この気持ちを怖くて言えませんでした。夫には本心を話してあります。
これには心が痛みました。
まず、Aさんは辛い気持ちを抱えながらも大事なお子さまの教育に向き合っていたこと。
そして、最初のお打ち合わせのときに、私がこの点を聞き出せなかったこと。
でもこうして勇気出して時間を使って知らせてくださったAさん。
早速、今度は保護者コンサルセッションを受けていただきました。
保護者コンサルでは、お客さまの気持ちを言葉にして一緒に方向性を考えることが目的となります。
学校調査のためのヒアリングと違い、今度のセッションでは内面のお話がメインでした。
育てやすい子なのに、産まれたときから辛い
子どもに悪いところはないのに、Aさんは子どもとの生活を辛く思ってしまう自分を責めているようでした。
「ちゃんとしたお母さん」でいたい。親や一般世間に対して。子どもや夫に対してはそんなに思わない。
同居している家族よりも、祖父母や世間に自分が母親としてどう見られているかを気にしているようでした。
子どもと一緒にいても楽しんでいないし、それは子どもにもバレている。(子どもをボーディングスクールに行かせることで)子どもに「捨てられたんじゃないか」と思われないか心配
Aさんを見ていて、嫌がる子どもを無理やりボーディングに行かせるようなことはしないと思いました。
仮にお子さまが「母親に嫌われている・捨てられた」と感じるとしたら、それはボーディングにいれることではなく、普段の関係性に基づいてだと予想しました。
私はお子さまとは話をしていないので実際の親子関係がどうなのかはわかりませんが、Aさんがこのように感じてしまうこと自体はAさんの精神的によくなさそうです。
因果関係や時系列抜きの現状だけをみるとAさんは「大事な子どもなのに子育てが辛い」「子どもとの時間を楽しめない」「解放されたい」と訴えています。辛い→逃げられなくてもっと辛い、という悪循環のようです。
本当に「失格な親」はいるのか
ご相談者の言葉を疑っているわけではないですが、ただ鵜呑みにしているだけではコンサルの意味がありません。
本当に親子関係は気まずいのか。親として失格なのか。今回のケースでは普段の親子関係を見ていないので、私には判断がつきません。
人間関係には”良い”瞬間も”悪い”瞬間もあると思いますが、最大瞬間風速ではなく平均風速でみてマイナスでなければリカバリーできます。そもそも”良い””悪い”は主観的で、一方が思っていることが相手にとってもそうとは限らないこともあります。
実際の親子関係を見たり介入したりすることは私の仕事ではないので、他のアプローチを考えます。
ちゃんとする前に大事にすること
Aさんは「他人からどう思われているか」を基準にしている印象を受けました。
「ちゃんとしなきゃいけない」「自分はちゃんとしていない」「ちゃんとしていない自分は失格」という考え方とも相性が良いのだと思います。
それはつまり「自分がどうありたいか」を後回しにしている可能性も示しています。
試しにAさんの趣味や好きな時間の使い方について聞いてみると、「もともと趣味もないけど、やりたいこともない」という答えが返ってきました。
もしかすると、自分のやりたいことに身を委ねる時間を意識的につくれたら、時間はかかるかもしれないけど効果があるかもしれないと私は希望を抱きました。
オンラインですが、Aさんの表情や声のトーンや会話そのものに集中しながら、生活面で変えられることのアドバイスをさせていただきました。
その後、Aさんから連絡があったので、一部をご紹介します。
前回オンラインで相談を聞いていただいた際に、誰でも不安なんだということと、小学3年くらいになったら本当にやってはいけないこと以外は怒らなくてもいいんだと分かり、それから気持ちが軽いです。
YouTubeなど何も観ずにボーっとする時間を増やしたのも良いのだと思います。
少しでも「ちゃんとしなきゃいけない」「自分はちゃんとしていない」「ちゃんとしていない自分は失格」という考え方を追い出せていればいいのですが、考え方の癖と決別するのは長期戦です。
この前後の文章からはAさんの変わりたい・このままじゃいけない、という気持ちが溢れてきていました。
私はその気持を後押ししたい反面、あえて逆行するようなことでしたが、変わりたい気持ちすら一旦ゼロにする時間を意識的につくってほしいとお伝えしました。
なぜなら、「変わりたい」と思うことは容易に「変わらなければいけない」、つまり「ちゃんとしなきゃいけない」に逆戻りしてしまう危険もあるからです。
「〜しなければいけない」と夢中になるあまりに、「自分がどうありたいか」を後回しにしていないか。
自分が自分を大事にせず、一体誰が自分を大事にしてくれるのでしょうか。自分を大事にできない人が、他の人を大事にできるのでしょうか。
なにもしない時間、気持ちを空っぽにする時間を持つ。まずはそれだけでいいです。
どうしていいかわからなければ、たとえば瞑想やヨガ、散歩やなわとび、ブランコでもマッサージでもなんでもいいです。
実は人間は暇していると、誰から指示されることもなく「やること」を見つけるようにできています。そこに「自分がどうありたいか」のヒントが隠されています。
何も出てこなくても、大丈夫。少なくともその時間はほかでもなく自分のためだけに使ったという事実が残ります。
我が子との時間を楽しめない、と私は胸を張って言います
Aさんの状況に身に覚えのある保護者は他にもいるのではないでしょうか。
かく言う私もずっと子どもと接してきた人生ですが、じゃあ我が子との時間を常に楽しめるかというと、絶対にそんな事はありません。
大事なのでもう一度いいます。私は我が子との時間を100%楽しんでいません。
辛いと思うことは当然だと思います。楽しいと思えるときしか我が子と過ごしていないといっても過言ではないでしょう。
私の場合は、子どもといない時間を楽しめて初めて、子どもといる時間も楽しめます。逆に少しでも辛いと思ったら、そう思わなくなるまで子どもと安全に距離を置く手段を探します。ええ、トイレに引きこもることもあります。
あくまで私の考えですが、親が楽しんでいる姿を子どもは心の目で見ています。逆に親が自分をおろそかにしているときも、見ています。
一番身近な大人が楽しむよりもわきまえる姿ばかり見ている子どもは、自身の成長を楽しみにしてくれるでしょうか。
もちろん、人生楽しいことばかりではないです。私にも、ここに書くにはふさわしくない辛いことも多々あります。
苦しさに流されるときがあってもいい。あるときは立っている、楽しみを見出す、せめて腐らない、そんな姿勢を子どもは見ていると私は信じています。
いずれ子どもに辛いことがあっても立ち直ってもらいたいと思うから、私も辛いことがあっても立ち直ります。(>>子どもができて初めて人生の暗黒時代も明けた私のプロフィール)
子どもといる時間に罪悪感を持ちたくないので、私は自分の時間を大事にしています。
Aさんとの一連のやりとりは、そんな私のスタンスも振り返る大事なきっかけとなりました。
補足
広い世の中には、子育てが圧倒的に向いていない人もいるでしょう。
でも、Aさんの場合はそうではなく、お話ししていて実は子育てに関心が高く、向上心もあると感じたのでこのようなアドバイスをしました。
もし本当に向いていない人がいたら(おそらく私に相談に来ないと思いますが)その状況に即したアドバイスをすることになるでしょう。
さて、実はこのAさんのご相談には続編があります。
>>家族とのコミュニケーションを変えてみた
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