「はて学校とは?」という疑問が芽生えたのは大学生の頃。
私は、日本の教育を小2の1学期までしか受けていないのにも関わらず、巡り巡って東京大学(帰国生入試)に合格し、留年もせずに卒業できた経緯があります。
あの頃の違和感が原点となった私の「選べる教育」探求の道のりです。
私の違和感
日本の教育を受けてきていないのに日本のトップレベルの大学に迎え入れてもらった私。
かたや日本の教育で勝ち抜けてきた他の生徒と一緒に学ぶことになったとき、私は戸惑いました。
世間一般では「東大生」というだけで周りから「すごい認定」をされて、一緒に扱われます。
でも私と「彼ら」は全然同じではない。私は彼らの知っていることを知らないし、解ける問題も解けない。模試なんて一度も受けたことがない。期待されても困る。
それでも学内も学外も、まるで私まで小中高と受験戦争の最前線をくぐり抜けてきたかのような扱いをしてくる。(被害妄想も多分混じっています)
アメリカでは私なりに必死で勉強していたと自負はある。でもそこで得た知識や思考法がどれくらい東大入試や在学中の勉強に生かされたのかは正直わかりません。
受験のことはわからなくても、小学生の塾講師ならできるかもと気軽に受けた面接でも問題の解き方がわからず不採用でしたし。
小2半ばで義務教育をいわば放棄した私と、日本の教育フルコースを経てきた彼らが、同じ大学で学ぶことができている。
「あれ、学校(特に義務教育)ってなんなんだろう?」と若い私は疑問に感じたんです。
学校じゃないと人生に必要なことが学べないのか
この強烈な「モヤモヤ体験」が、今の私の学校教育観にも大きな影響を残しています。
「長い人生における学校教育なんて、一日のなかの昼食のようなもの。どの学校を選んでも、ウドンかソバくらいの違いしかない。大枠の人生は変わらないんじゃないか」とすら思っています。
だからといって、学校なんてどうでもいい、なんなら行かなくてもいいとは思っていません。
食事を抜いては健康に長生きできないように、必要な知識やスキルやマインドセットは人生の栄養として必要です。
ただしその栄養の源は、本人にあった形、タイミング、方法でもいいんじゃないかという考えです。学校教育はあくまでそのバリエーションのひとつです。合わない人には違う方法を探すまで。
何歳になっても好きなことを好きな手段で学べばいい
私が教育コンサルタントをやっているのは、学校をブランドで選ぶよりも大事なことがあると認識しているから。学校だけが教育の形ではないと信じているから。
「理想のあの学校」に入るために費やしている人生の貴重な時間とお金はその使いみちでいいですか?
子どもの成長に貢献すべき教育業界は、「やるなら今しかない、この道しかない」と、その理想を煽って構図を延命させようとしていませんか?
今やっていることは、本当に人間と社会の成長につながっていますか?あるべき時間の使い方ですか?
学校だけが子どもが学ぶ場所ではない。
そして、子どもだけが学ぶ主体ではない。
つまり「何歳になっても、好きなことを好きな手段で学べるし、学びは楽しい」と私は考えています。
だから「大人になったら自由だ」と無理な勉強ノルマを課すよりも、「自分が学びたいことを自分に合う学びのあり方で」の可能性にかけたほうがよっぽどいい人生の使い方なのではないでしょうか。
だから私は「○○に受かるため」のコンサルティングはしません。
「実は他にもこんなに選択肢がある」という教育のセレクトショップのような立ち位置でいたい。
視野を遠く、広く持ってみませんか。
「人、本、旅」を体現する教育
立命館アジア太平洋大学(APU)学長で「知の巨人」と称される出口治明さんは、人を成長させるのは「人、本、旅」と言います。
いろんな人に会い、たくさん本を読み、旅で距離を移動すればするほど、掛け算で知識も経験もスキルも上がります。
それを体現する教育として、「ワールドスクーリング/World Schooling」という教育メソッドがあります。
この概念は、数年前に読んだこの記事で知りました。
「ぼくは9歳で学校をやめて、母と一緒に世界を旅するノマドになった」
https://www.huffingtonpost.jp/miro-siegel/nomad-20180904_a_23515838/
ワールドスクーリング、私が受けている印象をざっくり言うとこんな感じです。
- 学校教育などの既存の教育の枠組み(先生・教室・カリキュラムや教科書)から外れて、あらゆる体験・場所・人から学ぶこと
- いろんな場所に行けば行くほど、体験が多様化し、学びを深くも広げることもできるため、旅行やノマドと一緒に語られることが多い
- 似た用語に、「アンスクーリング」「トラベルスクーリング」「ホームスクーリング」などもあります。
- 既存の教育をどこまで排除するのか、どこまで利用するのかは、各家庭や個人の選択次第
「旅行×学び」は親和性が高いですよね。短期留学も近いと思います。
語学に限らず、文化や考え方、自分との対話など、日常生活では得られない刺激がたくさんあります。
ワールドスクーリングを学校で
とはいえ、家庭ごとに頻繁に企画するのは、お金も時間も労力もかかりますよね。
自分で企画するのもいいけど、すでに存在している企画に乗っかるのもアリです。
(学校教育から一旦離れておいて、また学校という枠組みに吸収されていくのは、他の教育トレンドでも見受けられます)
私が留学していたアメリカのボーディングスクールでは、希望者を募って年に3−5種類の「Study Abroad Programs」= 短期留学プログラムを提供していました。
私はどれにも参加しませんでしたが、南アフリカ、ギリシャ、スペイン、コスタリカなど、いろんな行き先がありました。
私のインターナショナルスクールの同級生も、進学したアメリカの大学を通じて世界中いろんなところに出没していました。
どんなに素晴らしい学校に入学しても、同じ環境で毎日過ごしていたら慣れてしまうのが人間です。
でも学期ごとにキャンパスが変わる学校があるのを知っていますか?
たとえばこちらの高校、THINK Global School。
アメリカ・ニューヨークに拠点をおく非営利教育団体が運営する高校です。こちらを卒業すると、アメリカの高校卒業証明がもらえます。
生徒たちは2つのグループに分かれて、毎年合計4カ国に渡ってそれぞれの国で勉強します。
学期が終わって休みに入ると解散して、母国に帰ったり、旅行を続けたり。
休みが終わると、新しい国で集合する。
かなり斬新じゃないですか?
ちなみに2022年11月現在、生徒たちはインドとトルコにいるそうです。
親が同行せずに、子どもが勝手に旅して学んできてくれるなんて、楽で最高!と私は思いました。
アメリカの新鋭ミネルバ大学も世界中を移動することが前提のカリキュラムです。
さらに、船で世界を航海する学校もあります。
世の中には、枠を飛び越えた学び方がたくさんあります。
日本のワールドスクーリング
このような前衛的な教育実践は、海外で始まって、遅れて日本にも始まることが多いです。
(全く来ないことも多々あります)
たとえばこの学校、インフィニティ国際学院(中高)とか。
ほかにも日本ならではのデュアルスクールというやり方もあります。
デュアルスクールとは、区域外就学願の届出により滞在先の小中学校へ「一時的な転校」ができる制度です。たとえばミライの学校。
国内の公立高校留学ができる「地域みらい留学」もあります。(どちらも「ミライ」と名前に入っているのはおそらく偶然)
ワールドといっても、国境をまたぐ必要はないと思います。自分のコンファートゾーンを一歩出たらそこは外の世界です。
小さく始めるとしたら、こういうところから。
我が子たちも
現在小1と小3の我が子達。彼らがこれから成長していくなかで、身近にある選択肢では対応できない個性・興味がでてくるかもしれません。(小1に至っては、すでにでてきている)
そんなときに、
こんな方向もあるんだよ〜
もしこれに興味があるなら一緒に調べてみよ〜
と言ってあげられることが、私のささやかな狙いです。
自分の人生を主体的に行ていく練習は子どもの頃から始まっています。