萩原麻友(ハギワラマユ)のブログへのご訪問ありがとうございます。
このブログでは、子育てや教育や進路に関する情報を発信しています。
- 7年通ったインターがつまらなくなってきていた私
- でも海外では言語の壁と新しい世界に翻弄され大変だった
- 結局、誰にとっても留学は大きな挑戦
- インターに行ったかどうかは、留学の成功を左右しません
私はインターナショナルスクールに7年通ったあと、アメリカのボーディングスクールに単身留学を4年しました。
留学する前は、私も両親も「ずっと英語で勉強してきているし、アメリカも初めてじゃないし、まぁなんとかなるでしょう」と油断していました。
しかし、実際の留学生活は当然、困難だらけでした。
インターナショナルスクールの利点はあるものの、留学中は課題と苦悩だらけ。
誰にとっても留学は新たな挑戦で、自己成長と異文化理解の大切な機会だと改めて思い、この記事を書きました。
インターナショナルスクールでの体験
個人的な体験談です。
私は、共働きの両親と暮らしながら7年間、国内のインターナショナルスクールに通っていました。
1990年代の話です。
当時の詳細は、以下の記事でも取り上げています。
【経験談】日本のインターナショナルスクールに7年間通った私が質問に答えます
この当時、私は3人兄妹の長子。
放課後は毎日、下の兄妹の子守と留守をしながら、宿題を一人でこなしていました。
親は学校のことで頼る相手ではない、と小学校の頃から感じていました。
実際、アメリカの社会教科について質問しても、英語で書かれた算数の文章題について聞いても、両親は分からなかったと思います。
今みたいにSNSもないし、ネット検索して答えが見つかるほどインターネットも普及していませんでした。(Googleが産声をあげる前後の時期です)
私にとって学校の勉強は、人に頼らず一人で黙々とこなすものでした。
当時の私の成績表が出てきたたので、記事にまとめています。
勉強ではほとんど親の力を借りることなく、成績も悪くありませんでした。
だからこそ、親も私を留学させてさらに腕試しをさせようと思ったのかもしれません。
実際、私も中1~2のタイミングで、インターナショナルスクールの環境に飽き始めていました。
インターとしては小規模だった私の母校。各学年1学級で、ずーっと同じ人達と一緒に進級。
幼稚園から高校まで全校生徒をあわせても250人程度で、生徒も先生も顔見知り。
アットホームという意味ではいいけども、高3までそこにいる自分は想像できませんでした。
正直、もっと刺激を求めていた当時の私。
だからといって、留学先で即大成功という意味ではありません。
それを、あとで思い知ることになります。
インター出身でも留学は課題と苦悩だらけ
中3のとき、私は単身でアメリカに留学しました。
寮がある高校(ボーディングスクール)に入り、アメリカ人のルームメイトと暮らし、すべて英語の授業を受けました。
英語の授業は、小2からずっと体験してきていたことです。
そういう意味ではインターナショナルスクールでの学びは、外国人への慣れや語学力の向上、教科知識におけるメリットはありました。
でもそれだけでは海外生活には通用しないことを痛感することになります。
インターナショナルスクールに通ったからといって、留学生活にスムーズに適応できるとは限らないのです。
インター出身生にもある言語の壁
インターで7年学んだ私にとって、基本的な英語力は問題ありませんでした。
それでもたまに、急に、言語の壁が現れることがありました。
たとえば、先生が「9:45まで自習してね」みたいな指示を出すときの「~until quarter to 10」の意味が最初はわからなかった。
ちなみに「quarter to 10」という時刻は、10時になる15分前という意味で、9:45のことです。
当時の私は、この言葉自体は一言一句聞き取れていたし、quarterが15分というのもわかっていました。
それなのに「quarter to 10」が10:15のことなのか、9:45なのかがわからなかったんです。
それまで教わってきたなかでそういう表現をしたひとがたまたまいなかったのでしょうね。
とはいえ、わからないことならただ「それって10:15ですか?それとも9:45ですか?」って聞けばいいと思うじゃないですか。
それができなかったのが、当時の私です。
周りのペースを見て、空気を一生懸命読んで、なんとか状況を把握しようとしていました。
頭の中は、「これって当たり前なの?私浮いてる?どうやったら浮かない?」ばっかり。
今となっては笑い話ですが、留学中は日々そんなことの繰り返しです。
インターに行っていた分、日本人留学生にしては英語力スコア自体は高かったけども、
そういう細かい表現は知らなかったし、「わからないことは聞く」という当たり前のこともできないのが私でした。
それでも次第にゆ~っくり慣れていき、顔見知りも増えてきて、なんとか安心して質問もできるようになりました。
でも気づいたのは、
「いま、10:15って言いましたか?」みたいな確認のための質問があまりに初歩的なものだと、
流暢な英語で聞いてしまうと、かえって「天然キャラ」や「常識がないひと」のような受け取られ方をしてしまうということ。
「英語の発音やリズムがネイティブ並みでも、表現についての知識の幅や運用能力は非ネイティブ」なために、セルフイメージと異なるキャラ設定をされてしまう。
そんなの言語の壁のうちに入らないと思われるかもしれません。
いろんな立場、いろんな悩みがあります。
14歳の私は、いまのように言語化することも難しく、モヤモヤしていました。
インターでも知らなかった世界
私が通っていたインターでは、7年間同じひとたちと進級してきたと書きました。
全校生徒は幼稚園から高校までで250人。
そんなよくいえばアットホーム、悪くいえば変わり映えのない環境から、
私が選んだボーディングスクールは4学年で1200人規模。(当時)
学年あたりの人数で15倍ほどの規模感の違いです。
私はどこかで「新しい出会い」を常に期待できる学校生活を求めていたのだと思います。
確かに、ボーディングスクールでは日常的に関わる人数が増えました。
でも見落としていたことも明るみに出ました。
インター時代は、お互いの勝手を知っているひとたちに囲まれていて、自分ひとりで勉強にも困らない生活を送っていました。
でもボーディングスクールでの留学生活が始まったとたん、自分では処理しきれないことがたくさんありました。自分でも気づかないうちに。
なにかで詰まったり、わからなかったりしたら、誰かに聞く。周りに働きかける。それが必要でした。
それが腹落ちするまでは、私はインター時代の自分のままでした。
今思い返せば、インター時代の私は、困ったときに自ら声をあげて対処したり、必要に迫られたら相手と対峙したり、そういう経験が少なかったのだと思います。
でも実はボーディングスクールは、自ら手を伸ばしさえすれば、そこかしこに頼れて甘えられる誰かがいる環境ですし、むしろ自分からひとを頼りにいかないとやっていけない世界です。
日中不在だった共働き両親、授業中の限られた時間しか関わりがなかったインターの先生とは違い、
先生は同じキャンパスに住んでいて、食事をともにしたり、家に遊びにいったり、休日でかけたり、日常の一部でした。
10代でも大人と仲良くなれるんだ、
困ったときはお互い助け合うのが自立した人間なんだ、
とボーディングスクールの人間関係のなかで少しずつ教わっていきました。
留学がもたらす成長と価値は、出身校に関係がない
インターからの正規留学。
日本の学校からの正規留学。
一般的には後者のほうがハードルが高いと見られるかもしれません。
でもだからといって、インターにいけば留学のハードルを乗り越えやすくなるとは限りません。
もちろん個人差はあります。
私のように、出身校以前の性格でのハードルもあります。
でも行った先の環境が間違っていなければ、語学は伸びるし性格も変わります。
私にいたっては、シニア(高3)になる頃には、合唱コンサートのソロパート、ミュージカルや演劇への出演、試合の会場アナウンスなど、
インターでは決して寄り付かなかったであろう役割の数々に挑戦していました。
出身校で身につけた力が後押ししてくれたのもあるでしょうが、
ボーディングスクールでのひとを育む環境や、留学してからの私の努力の部分も大きい。(自分でいうのも変ですが)
ほどよい距離で自立を見守ってくれた先生たち。
時間割も部活も違ったから、基本は部屋でしか会わなかったけど、日課がかぶらないからこそ授業や課題の愚痴も言いやすかったルームメイト。
学年がひとつ上の寮の先輩たち。本当にお互いのことを大事にして、楽しそうにふざけあっているのを見ながら、憧れや安心を覚えた。
そのうち一人は、日本語話せないのに、なぜかマンガの「花より男子」を原語で全巻揃えていて、よく部屋に借りに行ってたな。
タテ・ナナメ・ヨコの関係が何重にもあったボーディングスクール。
そんな分厚いコミュニティのなかで、私の原型が仕上がりました。
相変わらず引っ込み思案なところはあれど、発言が求められる場は恐れることがないし、
新しい催しや学びの場にアンテナを立てていて、気になったら一人でも出向く。
自分が役に立てそうなことがあれば、自分を差し出す。
時間があれば、人と関わりに行く。でも一人で行動することも怖くない。
与えられた状況でベストを尽くすようになった。
それは東大への受験勉強や学生生活にも、結婚生活にも生きたと思います。
周りの動きに惑わされず、自分を理解しようと努力を続け、自分を活かせる場所を求め続ける。
人と違っても怖くない。自分にある時間や環境や資源を最大限に活かすことに目を向ける。
私がボーディングスクールで得てきたことです。
大学以降で知り合った周りも少なからずそんな私に影響を受けていたと後から知ることがあり、私は自分が経験したボーディングの4年間を素直に誇りに思います。
インターナショナルスクールも良かったけど、あのまま高校卒業まで行き続けていたら、今の私はいなかったと思います。
まとめ
ボーディングスクール留学で得られたことは、インターナショナルスクール出身だから得られたことではないと思います。
振り返れば、あの4年間は、もう二度とやりたいとは思わないくらい、決してバラ色の時代ではありませんでした。
もし、ずっとぬるま湯でいられる人生があるなら、今でもそっちを選びたいくらい笑
でも、でも通ってしまった道は、通らなかったことにはもうできない。
今与えられているものを活かしながら前進あるのみです。
だから、「インターに行かないと〇〇ができない」「インターに行っていないから◯◯ができない」など後ろ向きになる必要はありません。
同じように、「英語力がないと留学できない」「英語力がないから留学しても無駄」と考える必要もありません。
どんな挑戦であっても「向き合う準備ができるまで」待っていたらチャンスを逃すことになります。
さすがに全部のチャンスに乗っかっていくことは難しくても、「これぞ」というときには動ける決断力と行動力があれば、仮に「準備不足」と思っていてもなんとかなるものです。
インター生にとっても、そうじゃない学生にとっても、留学は新たな挑戦。
新しい環境に慣れるまで、そして慣れてからも、様々な困難に直面することもあります。
インターナショナルスクールで得られる知識やスキルも一定の基盤にはなるかもしれませんが、実際に現地の環境や文化に適応するためには、同じくらい柔軟性や積極性や忍耐力などのソフトスキルが重要です。
インターに通わなくても、英語力の習得を日常に組み込んだり、子どものソフトスキルを伸ばすことはできます。
そして、子どもがインターに行っている方は特にその先の進路についての情報収集スキルのひとつに英語力が必須となってきます。
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留学も、ボーディングスクールも、全員に勧めるものではないですが、魅力に感じる要素が少しでもあるならもっと具体的に調べて、挑戦してみてください。
応援しています!